私のこと 子供時代

ミカエルに私の子供の頃の事を書くように

言われましたが

私は正直言って子供の頃の記憶があまりないのです。

その事についてミカエルが話してくれました。

『あなたは相手の気持ちを先に読んで

 相手に合わせてしまう

 それはあなたが育ってきた環境で

 身につけてしまった方法です。

 そうやって生きて行かないといけないと

 あなた自身が幼いころから身につけた術でした。

 ですから自分という物がなくて

 大きくなるにつれて

 どうして自分には自分の考えが持てないのだろうと

 思ってきました。

 他の人の様に

 自分がこうしたいと言う事を考える事に慣れていないので

 急に自分で考えろと言われて

 とても戸惑ったのです。

 自分の考えを持とう持とうとするけれど

 今まで親が決めて良しとした事に合わせて

 いかないといけなかったので

 自分の考えを言うという事が育っていなかったのです。

 それであらゆる本を読み

 その中から自分の気持ちに近いものを自分の考えとして

 受け入れてきました。

 そうやって自分を育てることから始めて

 少しずつ自分の考えが持てるようになってきました。

 でもついつい自分の気持より相手の気持ちに

 合わそうとしてしまう習慣は残ってしまいました。

 そうやっていつも相手が気持ちよく楽しい気持ちになるように

 心を配って来たのです。

 でもそれではあなたの気持ちは上手く育ちません。

 あなたの感情や魂は2の次3の次になってしまいました。

 そのあなたの心配りのお陰で

 あなたの家族や周りの方々は幸せだったと思います。

 でもあなたの心に押し込めた魂は小さく縮こまってしまっています。

 あなたはもっとわがままになって良いのです。

 あなたはまだ自分は何でも言っている。

 わがままを言っていると思っていても

 あなたの奥の奥では

 何だかすっきりしない気持ちが押し込められているのです。

 それは解放してあげなければいけません。

 あなたはもっと自分を癒す必要があります。

 時間をかけて自分を癒してあげてください。

 そうすれば本来のあなたの魂の輝きが戻って来ます。

 その輝きはものすごく大きいのです。

 どうぞ自分を癒して下さい。』

 

私は乳飲み子の頃に生みの母の姉夫婦の所に

養女にもらわれてきました。

どうしてそういう事になったのか今では本当のことはわかりません。

私がその事実を知ったのは小学校の5年生だったと思います。

偶然母子手帳を見つけて驚いて確かめる私に

両親は長い間隠していたことを謝ってくれました。

実の両親の事は叔父叔母と思っていましたので

急に事実が分かったからと親しい気持ちが湧くわけでなく

私の中ではやはりおじちゃん、おばちゃんのままでした。

かといって父と母に悲しい思いはさせたくなくて

平気な顔をしていましたが、

どこかぎこちなくなってしまったのも事実でした。

私の居場所が急にどこにもなくなってしまった

心もとなさをずっと抱えていました。

その頃からです。いつも周りの人から嫌われないように

人の気持ちを先読みしてその人が喜ぶ自分を演じるようになっていました。

父や母の喜ぶような自分を演じて

喜んでもらえるように頑張っていました。

ところが高校に入って成績が思うように伸びず

両親の喜ぶ自分が演じられなくなって来た時に

とうとう本当に疲れてしまい

大人になりたくなくて拒食と過食をくりかえし

学校にも行かれず、病院に連れていかれました。

何軒もの病院を回ったところ

多分母がお医者さんから

もっと私を自由にさせるように言われたのだと思います。

急にこれからは私の好きな様にして良いからと言いだしました。

それまで母の常識に合わせて生きて来たので

急に自分で何でも決めて良いと言われても

どうして良いかわからなくて

却って混乱してしまいました。

そして一人になりたくて

田舎のおばあちゃんの家に行きました。

おばあちゃんは私の事をだまって受け入れてくれて

そっとしてくれました。

毎日毎日ござを持って海に行きました。

何にも考えずにぼおーっとただ海を見て暮らしていました。

そうしているうちにおばあちゃんのお台所を手伝ったり

近所の耳の聞こえないおばちゃんの所へ遊びに行ったり

白血病で寝ていたお姉さんの所に遊びに行ったりしているうちに

自分にも良いところがあるんだ

こんなに五体満足な身体があるのに私は何をしているんだろうと

思うようになりました。

毎日海まで歩いていたので食欲も出てきて普通にお腹がすき

夜になったら寝て朝になったら起きられるようになっていました。

そこへ高校の友達が遊びに来てくれて

一緒に東京に帰りまた高校に行けるようになりました。

高校では主人をはじめ楽しい友達がたくさんいてくれて

やっと本来の自分を出せるようになってきました。

そして主人と山形に行くことが決まった時は

これで実家を離れられるとほっとしたのも事実でしたし

これで私の居場所ができると心の底から安堵しました。

 

今こうして振り返れば母の叔母への対抗意識も分かりますし

母も母で苦しんでいたのだと思います。

何より一番感謝しているのは養女の私を

こんなに遠い山形に嫁に出してくれた事です。

娘が遠い所へ嫁いで行こうと言う今になって

やっと母の気持ちが分かるようになりました。

嫁いで30年以上もたってから

母の気持ちが分かるなんて

親子関係って本当に難しいものですね。